デンマークからの見学者

s-s-2009_0714bokuwakai0014.jpg

7月14日にデンマークの精神障害者協会理事のインゲさんとオーデンセ薬物中毒センターのハッセさんが来院されました。

春日市で午後から開かれたデンマークの精神障害者福祉についての講演の前に牧病院の社会復帰施設であるピアッツァ桜台を見学に見えたのです。

されに先立って、主催者側から打診があったときに、私自身もデンマークの高齢者福祉の状況を見学に行ったときに施設内で精神障害者も一緒に暮らしていたのを見ていたので、教えられるところがあるかもしれないと思い引き受けました。

前に行ったときに施設の利用者は日本で見る利用者と大差ないと感じましたが、社会制度や風土の違いを痛感しました。デンマークには自立支援法のような障害者のための法律はなく、乳幼児から障害者、高齢者まで一本の法律で運営されていることも理にかなっており感心した覚えがあります。

話をしてみて一番驚いたのは入所施設の人員配置が利用者1人につき1.3人であることと、デンマークの新しい基準では一人当たり2部屋シャワートイレつきで50?の部屋を求められているでした。

思わず、「それだけの人数があれば、かなり重い人でも施設に出せますね」といってしまいました。

印象的だった質問は「施設の入居者に避妊はおしえているか」「利用者は何を喜んでいるか」「スタッフがここで働いていてうれしいことは何か」などでした。1番目は私も知らなかったのですが、スタッフははにかみながらYESと答えていました。2番目は「自由」、3番目は「利用者が少しでも物事ができるようになったときにやりがいを感じる」と答えていました。

また、うれしかったのは「入院中から社会に出ることを想定したかかわりと、本人の希望と意欲を一番大事に考えて施設の職員がうごいている。」「3年間かかっても施設に退院した症例などすばらしい」「施設で行われていることも自分たちからみてかわらないし、違和感はない」といわれたことでした。

退院して1人で社会生活をすることはなかなか大変なことで特に中長期の利用者にとっては狭き門です。この事実は自分は、まだうまくやれていない、もっとうまいやり方があるのではないだろうかと自問自答を繰り返していましたが、今回、これは社会保障制度上の問題が大きいのかもしれないと思いました。広い住居で、たくさんのスタッフがあれば、院外で暮らせるのではないかと思いました。

また、年金ですが、規定よりも早くもらうことができて30万、税金や施設費などを除いて5万ぐらいが小遣いになるそうです。ちなみにデンマークの人は必要がないので貯金はしないそうです。

うむー・・これならいけるよなぁ・・・・

しかし、いかんせん、ここは日本なのです。

歴史も地理も風土もそして社旗制度もデンマークとは違います。

今ここにある問題はここで解決していくしかありません。内心忸怩たる思いもありますが、「1人、ひとり、そしてまたひとり」の精神で地道に行こうと思います。

s-s-2009_0714bokuwakai0008.jpg

ちなみにピアッツァではたまたま居合わせた利用者からお茶を振舞ってくれました。私たちがあまりに話に夢中だったので、助けていただいて楽しいハプニングもあり、お互いのお土産の交換で山笠の手ぬぐいとアンデルセンの切り絵をプレゼントしお互い精神障害者に関わるもの同士友好を感じました。この切り絵はピアッツァに飾ろうと思っています。

この訪問は時間も長かったですが、いろいろと勉強になりよかったです。

 

 

 

電子カルテのその後

1年4ヶ月前に飛び立ったセスナは飛びながらたくさん部品がついて、だいぶ使いやすくなりましたし、なくてはならないものになりました。

教育もうまくいき電子カルテがかけないという苦情はもちろんこのことでの退職者も出ていません。

ただ、一方細かい部品がつきすぎて何がどこにあるのやら分かりにくくもなってしまいました。

必要に迫られて絞りに絞って、時間をかけてつけた部品でも使い始めると予想に反して意外と使わないというものが結構出てしまいます。時間がもったいない。・・・・

思いつきもあるしよく練られた要望もあります。

実際のプログラム作成に取り掛かる前に、必要性は何か?その背景の業務整理ができているか?

実現したときのメリットはなにか?どれぐらいの広がりがあるか?このことをいつも考えています。

電子カルテについて

牧和会では普段から院内の電子化に取り組んでいますが、2007年8月1日に自作の電子カルテが稼動しました。

カルテの特徴
  • 牧和会内だけで使える自作のカルテ
  • 1利用者生涯1カルテ
  • WEBベースのテキスト入力とオーダリングシステム
  • 使いながら改良していくカルテ

牧和会で初めて院内の電子メールが使われた1999年12月24日から、電子カルテ稼動の2007年8月1日まで7年近くかかりました。
実は私はずっと以前からチーム医療を行っていくうえで、診療記録(カルテ)についていくつかの問題を感じていました。

  1. 診療情報をチーム内で共有して検討するにはチーム全員が集まって、カルテを誰かが読むしかなく手間と時間がかかること
  2. カルテをあちこち必要な場所に運ぶには手間と時間がかかる
  3. カルテの字が読みにくい場合がありミスにつながりやすいし、確認に手間がかかる

それでもカルテ自体は良く書いていて、手間と時間さえかければかまわなかったのですが、工夫を重ねた情報共有のためのノートやシートは、一つの病棟の分だけでも膨大になり、広げると4畳半ぐらいにはなりそうでした。こうなるとノートやシートの記載も整理も大変で何をやっているかわからない感じも出てきました。そういうわけでチームで機能的に動くためになにかいい方法はないものかと思っていました。とにかく情報がスムースに通るようにという観点から院内にLANのネットワークを引き電子メールと掲示板からはじめました。そのころ注目し始められていた電子カルテは導入費用が1ベッドあたり100万と言われていました。(注:1)欲しかったけど、とても高くて手が出ませんでした。さらにこまったことに、当時の私にはプログラミングやネットワークに関しての知識がなかったので、いろんな売りこみを聞かされても、その価値が良くわかりませんでした。仕組みの価値がわからないまま使うというのは大変危険なこと(注:2)で、ベンダーと組んでつくることも一部分でやってみましたが、逆に医療の世界とIT関連の世界はまるで違うということを痛感させられました。
注:1今は少しは安くなっていますが、依然高いと思います。
注:2このことに関しては最近大きな社会問題がおこりました。某大手IT企業が政府に売り込んだというか政府が買ったシステムがレガシー(伝説的に古い)システムでメインテナンス料や修正料などがとても高価であることがわかり国民全体に大きな不安と怒りを呼びました。売ったほうは、その世界のビジネスだったのでしょうが、買ったほうはお金があった上にその世界のビジネスを良く知らなかったのではないかと思います。

映画ではないですが、私は、ちょうどジュラッシックパークに迷い込んだ人間のような感じだったと思います。このIT関連の業界は肉食恐竜が跋扈しているように思われました。さらに使い勝手が今ひとつだからとプログラムを変えるだけで、新たに費用が生じることもわかりました。そして、大手から売られているカルテはとても格好よく見えました。ちょうどジャンボジェット機のような巨大で完成されたシステムで、最近ではすぐに離陸できそうなものも出てきました。それでも、私が思うレベルで精神科の特殊性に対しては対応が不十分で、逆にあまり必要のない機能もついていて、費用面も含めて職員のいろいろな質改善や効率化の提案を受け入れる余地はなさそうでした。
一方で、コンピューターの性能はどんどん良くなって安くなっていくし、 新技術も次々登場してきます。基本的には技術ですから原理があり、それを理解して使えば費用は最小限ですむはずです。
実際に診療所向けのカルテを自作された吉原先生に入院で使えるようにかえていいかどうか相談してみましたが、入院には使わないで欲しいと断られました。また、大阪で診療所を開業していた高校の先輩である松岡先生がこの吉原先生のカルテを使っておられたので、いろいろ相談したところ、「なら、自分ででつくっちゃえばどうや!」と背中をおしいただきました。
それならと、吉原先生の考えに習って、プロペラのセスナ機のように小型でもいいから、基本機能がしっかりしており、飛びながら改良できるカルテを作ろうと狙いを絞ってやってきました。ライバルは売り上げ数兆円で世界でも有数の多国籍企業であるIT業界大手です。まるで蟷螂の斧、ドンキホーテのような試みですが、自分たちは「竹やり戦術」とよんで、自分たちの、自分たちによる、自分たちのための(どっかで聴いた言葉ですが・・・)電子カルテ作成に真剣に取り組み始めました。

この自作カルテは看護師2名(1名は上級システムアドミニストレータ)とシステムプログラマー1名と私で勉強しながらオーダリングシステム(注:3)から取り組み始め、「1利用者生涯1カルテ」「法人内で共有」「診療データが取れる」「強固なセキュリティ」を合言葉にこつこつと作ってきたものです。私も、本格的にWEBプログラムを勉強して実際に書きたかったのですが、口惜しいことに時間が足りなくてできませんでした。
できあがった自作カルテは、まだまだ未完成な部分もあり使い勝手も今ひとつですが(注:4)使いながら改良していけるようにという前提でやっと使用開始にこぎつけました。
注:3薬剤の処方や検査の依頼をシステム上で行うこと
注:4未完成な部分が多いので、現在のところ販売したり、お分けしたりする予定はありません。

というわけで2007年8月1日ようやく自分たちのセスナが離陸しました。

現在、この自作カルテは牧和会にある120台あまりの端末で日々動いています。今後、このカルテを改良しながら使い続け、全職員で質改善と効率化にとりくんでいくなかでいろんな発見があるのではないかと楽しみにしています。

中等度以上の認知症の治療と介護

軽度・中等度・重度というのは認知症の中核症状である記銘力や見当識の障害でいうことで、徘徊などの行動上の問題であるBPSDの程度で言うことではありません。

中等度というのは簡易な長谷川式などのスケールで大まかにって10点台をイメージしています

このころの治療の目標は施設で介護できる状態にすることです。もちろん家族の方が家で見たいといわれるならそれができるような状態にすることです。

どの程度の介護が必要になるのか、家でできるのかは個別の事情や環境になりますが、治療が必要な問題は、夜間の問題と介護の拒否、興奮だろうと思います。

気持ち良い生活はこの段階でも進行を予防すると考えていますし、介護の方法で変わる部分もありますが、継続的に行うことが必要ですし、環境への配慮と熱意、冷静さが必要でプロでも難しい場合もあります。それに比べて薬による治療は時期により微調整もありますが、ある程度効果は持続的です。

成人に比べてごく少量の精神安定剤で有効です。経験上、効き方は成人の場合とかなり違いますが、先に述べた介護や生活上の工夫とあわせると効果があがりやすいです。

成人の生活習慣病ではありませんが、高血圧の薬を飲んでいるから、タバコも塩分もいくらとっても大丈夫とはいきません。しかし、いろんなことを重ねて行うと効果がある。認知症もこれに似ています。

 

認知症の早期診断と早期治療

なぜ、早期か?認知症は進行を予防できるからです。

とくに、認知症の前段階である軽度認知障害の状態では進行予防の効果がおおきいと思われます

しかし、筑紫野市、太宰府市、大野城市、春日市、那珂川町の四市一町からなる筑紫地区ではあまり知られていないようです。あちこちで講演している感触と、2000年から認知症に関わる医師・スタッフのために筑紫医師会で開催している認知症セミナーでのアンケートから感じることです。施設や病院で働くスタッフは問題行動への対処に追われています。

私には、物忘れなんて、もう年だからしょうがない、ある程度はあると感じている人のなかに軽度認知障害の人が紛れ込んでいて中等度に進行してBPSDがひどくなってからどうしようと思いながらすごしておられる方、あるいは軽度認知障害ではないのにそうなったらどうしようと心配している方がきっとおられると思います。

早期認知障害は65歳以上人口の30%にあり、そのうち30%が5?7年以内に認知症が発症すると言われています。この5?7年の間に進行予防をすることが有意義です。

進行予防には何が有効なのか・・

食・住や活動など生活上の事に関していろいろなことが言われています。ネット上に情報があふれているのでこれは割愛しますが、簡単に言うと気持ち良い生活をすることでしょう。これを食べればいいというものもありますが、不老不死に通じる話ですから絶対はないと思います。

ただ、私が大事に考えていることは本人への告知です。

おそらく誰でも本当は自分の状態は、一番分かっていると思います。

自分のことで考えると告知されることは怖いですが、準備もないまま、何が起こっているかずっとわからないまま、人生の終焉を迎えることを想像するとそっちのほうが自分はつらい。認知症になって関わってくれる人がいても自分がわからないのではつらいのではないか・・・それともわからないまま関わってもらって王様になっているか・・

安心して死を待つ王様になりたいものですがその道はまだ見えません。

ちょっと横道にそれてしまいました。ともかく、認知症の進行予防について機会があれば講演などしたいと思います。

時間が合って近ければどこでも行きますので、声をかけてください。講演料は安くてもかまいませんので・・ 

統合失調症の在宅治療と生活障害

治療は在宅生活のためにある。もっと言えば、在宅での治療こそ治療の本番といえるでしょう。
 当たり前すぎて今更という感じですが、特に統合失調症の治療においては大事なことだと思います。また、これがすべてのご本人の基本的な願いでもあると思います。

新しく治療を始める方は外来治療が原則ですし、発病から早期に治療すれば外来治療ですみ、入院しても期間が短く(牧和会についての診療実績を参照)入院と外来は続いていると実感できるでしょう。しかし、発病から治療開始までの期間が長い場合とか、病状が重く入院が長期になってしまう場合には入院治療と在宅での生活には大きなギャップができてしまいます。それは生活上の障害です。例えば「外出してパンを買ってくるように」と言われればそれはできます。しかし、「お昼になって昼ごはんを自分で買うこと」が難しいのです。「食事をするということを思いついてお金と相談して何を買うかを決めて店に行って買う」このこと自体はなんでもないことのように見えますが、入院生活ではまるで考える必要もなく行われないことです。

統合失調症の主症状である陰性症状(自発性の低下)とあいまって大きなギャップができてしまうわけです。人によって、発病の時期によっても異なりますが、様々な生活場面でこのような障害が残ってしまいます。「病気の主症状である陰性症状とあいまって」と言いましたが、入院していなくても症状としてこのような生活障害が起こることも少なくありません。ただ、入院期間が長くなるとさらに起こりやすいといえます。

牧病院では開院以来、興奮したり幻覚妄想などの陽性症状の治療はもちろんですが、この陰性症状を治療のターゲットと考えて活動療法をリハビリとして治療の重要な軸としてきました。
昭和61年(1986年)には早くも精神科デイケアを開設し、以後福祉ホーム、訪問看護、地域活動支援センターなど様々なことに取り組んできてたくさんの人たちの社会復帰に関わってこれました。
その中で多職種が関わるチーム医療とチーム内でのコミュニケーションの大切さを学んできました。

最近では毎週、在宅カンファレンスで症例を検討し、情報を交換し社会復帰について勉強してきました。このカンファレンスには在宅支援にあたる外来や、デイケア、訪問看護やピアッツァから、また病棟からスタッフが集まってきます。病棟からも、というのは入院中からきたるべき在宅生活を目指して生活障害の治療とリハビリに取り組み入院生活とのギャップを小さくする必要があるからです。

いつも感じるのは「本人とご家族の希望が大事である」「急がば回れ」「急いては事を仕損じる」ということです。失敗して病状悪化を招かないように治療上どうしても譲れない最小限の大事なところをご本人に教えて、そこを一緒に守りながら本人の意思を大事にゆっくりと関わっていくということが必要です。

最近、社会復帰が合言葉のようにして国の方針としても強力に推し進められています。しかし、統合失調症では社会生活をすると主観的なQOL(生活の質)は落ちるケースもあるという報告もあっています。(文献『CONSONANCE?精神科治療のトレンド?』2005 winter(通巻第17号)ライフサイエンス出版(株) 2005年11月30日発行)それぐらい統合失調症はなかなか複雑で難しい病気といわざるを得ません。私は、その人の経験によって、つまり抱えてしまった病状によって、またそれに対するその人の取り組みによって、希望するなら入院や入所も必ずしも悪いことばかりではないと思っています。このことは、よく考えれば統合失調症に限らず病気を持つ人の生活という側面から見ると一般の病気と同じことだと思います。この事実は日本の精神科治療の歴史と現状を考えると様々な誤解を生みやすいことだと思います。精神科の病院は収容施設のように見られてきましたし、私自身が入院中心主義と言われるかもしれません。しかし、繰り返しになりますが、治療は在宅での生活のためにあります。

そして、今、いくら社会復帰が国を挙げてのスローガンであっても社会に出さえすればいいという考え方には反対です。基本的に社会生活には夢もありますが、一方では病気が始まった場所でもあり危険はあるからです。

誰でもある生活上の失敗はともかく、自分が混乱してしまうほどの病状悪化は社会的にも心理的にもロスが大きいと思います。社会生活のために、生活障害を支援するためにいままでも、そしてこれからも、私たちにできることに取り組みながら本人の意思を大事に納得できるところをともに探していく。
そのようなかかわりを行いたいと思っています。

理事長に就任して

ライフサイクル

人のライフサイクルでは生まれてから小児期、思春期、青年期、成年期、中年期、老年期にわたって、さまざまなライフイベントがあり、普通の一生ではそれぞれの時期に現れる入学や結婚、就職、身体の成長や老化などのライフイベントに対して時期に応じた適応をしている。実はこの適応の仕方については10年前の適応の仕方では現状は乗り切れないので、ライフサイクルが進むにつれて適応の仕方を変えていっている。この適応がうまくいかないと行き詰って適応不全となり、精神疾患をはじめ、様々な内科疾患やストレス関連疾患を発症する。

時代は変わった
年間自殺者は急増した1998年から、高止まりして、いまや年間3万人を超えた状態が続いている。特に世界的に珍しい中高年の自殺者の増加がその原因と言われている。経済的損失が大きいゆえであろうか、政府も自殺対策本部を設置するなど対策に躍起になっているが、時は逆戻りしないので、今の日本社会のありようは元に戻ることはなく、この閉塞感は当分続くだろう。今にして思えば1998年のころから日本の社会は大きく変化したのではないだろうか。
自殺者が急激に増加した1998年からもう10年になるが、この間、小泉内閣で医療制度改革大綱が定められ、毎年2200億円の国庫負担を減らす財政主導の医療制度改革が始まって、5年になる。安部内閣はうつ病で倒れ、福田内閣になり、政治の世界も適応不全が明らかになってきた。
与野党とも、衆参のねじれ状態に対応できておらず、相変わらず高度成長時代の政・官・業の連合システムである1955年体制時代の一党支配にこだわり、そこから脱却するすべを持たないように思われる。50年ぶりの参議院の(みなし)否決から衆議院の再可決という出来事は、変化は求められているが対応が分からないという状態の象徴であるように思うが、どうだろうか。
時の流れは止められないし、昔には戻れないのである。仮に昔に戻ったとしても、社会が変わったので適応不全が強くなるだけだろう。良い悪いは別にして変わってしまった社会に適応するように前に進むより方法はない。人であろうが、組織であろうが何事であっても変わらないまま生き抜くことはできないのである。

医療の財源問題
世界的にも医療の財源問題は解決されておらず、特に日本で逼迫の問題となっていることは事実だが、財源さえあればうまくいくかというと果たしてどうだろうか。財源はあった昔から今まで解決できない精神科の問題は厳然としてあるのである。一方で、人の際限のない健康志向の中、医療の需要は伸びており、これに応えるために医療も様々な場面で効率化を進めたり、価値を高めていったりして適応していかなくてはならない。

21世紀は脳の時代といわれている。
脳の謎の解明に産業界からたくさんの資金が流れ込み世界中の科学者たちが様々な新次元の研究をしている。PETやMRIなどの画像機器の発達や人の遺伝子情報の解明、インターネットによる共同研究の発展や文献検索のやり易さなどにより、脳科学は爆発的に発展しつつある。最近の統合失調症の脳研究や認知症の世界同時研究など早期発見、早期治療、予防へと繋がりそうな研究成果が得られてきている。統合失調症やうつ病の脳自体に病変はないと言われてきたし教科書にもそう書いてあったが、次々と特有な部位の萎縮があることがわかってきている。これらはいずれ新常識となっていくだろう。まだまだ、臨床には使われていないが今後は期待できると思われる。
牧病院が設立された昭和38年は、統合失調症には脳病変はないと信じられていたし、日本で精神科薬物療法が行われ始めた頃で、おそるおそるクロルプロマジンを飲ませて血圧を測り副作用がないか注意して見ていたころである。当時は薬物療法に対して過剰な期待もあったと思われるが、今後、どのような薬が出てきても薬だけで病気の治療ができるとは思われず、人が人を直す時の人の力の重要性は益々高まっていくだろう。新しい薬など新技術の重要性も認めながら振り回されて大事な人の力を見失うことがないように、適応していかなくてはならない。
実際に牧病院でも、統合失調症や認知症の在宅治療や入院治療でも過去にない新しい事態が生まれてきている。統合失調症では入院者の高齢化であり、在宅治療の適応が思っていたよりも狭いのではないかという疑いである。認知症では早期発見、早期治療の必要性であり、倫理的な問題も含めて病院死の選択が増えてきていることである。継続して患者に関わっ
ているので、これからも様々な新しい事態があるかもしれない。
このような環境の中、2008年4月に医療法人牧和会の理事長に就任した。就任するにあたって何か言葉を捜していたが、見つけたのは以下の言葉であった。

「照千一隅」
「一隅を守る」は戦中戦後に「反抗せず、黙々と分を守って仕事をする人は国の宝だ」というような意味で、そのような人になるようにという権力者から強制する意味も込められており、使い古された言葉である。出所は天台宗を開いた仏教大師最澄が求めた理想的人間像を書いた「山家学生式」にある「照干一隅此則国宝」に由来すると云われている。ところが、最澄の自筆原文をみると「干」(かん)ではなく「千」(せん)とも読めるという。そこでその読み方によって仏教界では論争があり、「千」なら「千里を照らす者となれ(一隅を守りながら)」という意味らしい。この論争について、日本仏教界から中国仏教協会に尋ねたところ、中国古典(史記などの)にある「照千里・守一隅」を縮めて(千里を照らす)と解釈すると回答があり、最近論争が終わり意味が確定した。
 言葉でも使い方次第で手垢がつくものである。時の権力に誤用され、利用された言葉ではあるが、「照千一隅」の本来の意味は時代を超えた正しさがあるように感じられる。それは歴史を生き抜いた言葉が持つ重みであろう。
私が医師になり臨床の勉強を始めたのは九州大学精神科で1982年のことであるが、実際の臨床を実践を通じて学んだのは牧和会に就職してからのことである。求められるままに臨床をし、必要に迫られて経営の勉強を始めてもう25年を超えた。
そして理事長に就任して「照千一隅」という言葉に出合った。この言葉の、時の権力者に捻じ曲げられてきた歴史を振り返り、このように権力の乱用をしないという決意をすると同時に、言葉の本来の意味をそのまま自分のテーマとして、自分本来の原点に戻って、牧和会でこの地域の精神医療に取り組もうと思う。
私には夢がある。
職員・患者を問わず、たまたまにせよ牧和会に関わることになった人が自分の変化や成長を感じられること、
そしてそれが可能な場として牧和会が発展し充実することである。
この夢が、自分が千照一隅になることを通じて実現できるように全力で取り組みたい。
皆さん、よろしくお願いします。

(2008年5月牧和会にて職員むけに)

経歴・所属学会・認定

略歴

1976年(昭和51年)ラサール高校卒業

1982年(昭和57年)九州大学医学部卒業、九州大学神経精神医学教室入局 
1984年(昭和59年)大牟田労災病院常勤医
1985年(昭和60年)九州大学医学部精神神経学教室医員
1985年(昭和60年)九州大学医学部中央検査部脳波室常勤医、九州大学医学部精神神経学教室脳生理学研究室入局
1987年(昭和62年)九州大学医学部博士課程卒業、牧病院常勤医
1998年(平成9年)牧病院院長
2008年(平成20年)牧病院理事長

 

所属学会

日本精神神経学会

日本家族療法学会

日本集団精神療法学会

日本老年精神医学会

 

認定

精神保健指定医

日本精神神経学会 精神科専門医

日本老年精神医学会 認知症専門医

日本医師会 スポーツ認定医